65536 tunes for MIRAI

年に一回くらいは更新したいブログ

無題

たまに、耳に聞こえてくる音楽は、どうでも良ければ良いほどいい、下らなければ下らないほどいい、っていう時がある。コンビニBGMレベルのJ-POP、コンセプトはそっとさり気なく側に寄り添ってくれる、肩を組んでくれる、ほんのりおセンチフィーリング漂うメロディと軽快なリズム、ヴォーカルはそれなりにカラオケが美味い素人に毛が生えたレベル、来年の今頃はブックオフに捨て値でズラッと並んでる、あれそういやあの人最近テレビで見ないね、みたいなね。でもそれは単に、ぬるま湯に浸かる心地よさでしかない。


どうでもいいJ-POPは、その軽快さ、軽薄さとは裏腹の腕力で、過去のどうしようもない日々を、記憶の底から掘り起こし、自分の鼻っ面に突きつけてくる。抗いがたい心地よさを持ちつつも、何も生み出しはしなかった日々。


沈む夕陽。帰り道を照らすオレンジ色の街灯。誰もいない深夜の駅前。午前三時のカラオケ屋の個室とロビー。煌々と明かりが灯るコンビニ。別に飲みたくもないのに、意味もなく飲み物を買って帰る。放送の終わったテレビに延々と流れる天気予報と、どこかの街を映し出す定点カメラの映像。耳の奥で流れるのは、大好きだったバンドの曲じゃなく、軽快で軽薄で、安っぽい感傷で味付けされたJ-POP。脳裏に焼き付いて消えない、あの10年以上前の日々の、ただ燻っていただけの生活を思い出すのは、もうやめにしようと思ったのに。語ることなど何もない、怠惰なだけだった青春。あれを思い出すことの何がセンチメンタルだ。ひたすらに刹那の快楽を享受することが許された季節は、とっくに終わりを告げたというだけだ。なのに未だにあの時代を引きずってる。あわよくばもう一度戻りたいという気持ちさえある。爛れた過去の日々を想い浸ることの快感。もう戻れないのに馬鹿みたいだ。


過去には戻れない。そんな当たり前すぎるほど当たり前な真実を受け入れるのに、人生30年くらいかかった。本当に馬鹿だ。小さい頃からそんなことはわかってた。でも心の何処かで、目が覚めたらあの日に戻っているんじゃないかって、そんな淡い期待を持っていた。そんなわけないんだけど、でも現実逃避は何時までも止むことはなかった。やっと、時間は前にしか進まないという、厳然たる事実を受け入れる覚悟が出来てきた。でも、状況は変わらずとも時間は進む、そんな低レベルの事実をはっきりと認識できただけでも大分違うと思いたい。過去を想うことはあれど過去に囚われることはなくなる。その程度も出来ずに、ずっと同じ場所で、何年も、何年も、何年も、ずっと足踏みをし続けている人もいる。今更、あの日々に戻ってなんかいられないんだよ。


あーもー、秋のせいだ。11月のせいだ。そしてそんな季節の変化に容易く流される心根の弱さのせいだ。一体何度このポイントをぐるぐる回るんだ。